フローライトって蛍石なんです

ちょっと長めのことを書いてきます

声優とアイドル声優は別物!!

論じるつもりはない端書です。

タイトルで怒りながら来た人、申し訳ありません。

最後まで読めばわかるんですけど、私はアイドル声優を否定するつもりは微塵もありません。誤解です。いのりん好きだし。

 

動機

最近日曜の22:00〜23:00に水瀬いのりのラジオと、本渡楓楠木ともりのラジオ聴くのにハマってまして、

そこで本渡楓さんが「声優はアニメより前に出るべきでない」って言ってたんですよ。

その時ははーんとしか思わなかったんですけど、今日ですね、花守ゆみりさんの「アイドル声優」に関する発言が燃えてるの見ましてね、こう2日連続で同じようなもの見るとやっぱ考えものだなあって思って、そんで長くなりそうなんでこっちに書いていく次第であります。

 

まず、燃えている花守さんの発言をまとめようと思ったんですけど、私がインタビュー記事読んでないって言うところからやっぱ闇雲にコピペするのもどうかなと思ったので、まあまとめを読んでざっくりと自分の言葉でまとめます。気になる人は調べてください。

ざっくり言うと、「アイドルみたいに歌ったり踊ったりするのがきつい、一番嫌なのは人前に出て自分を見られること、声の演者なのだから見るんじゃなく聞いてほしい」ってことらしいです。その中で「デビューした頃の写真を見るのが恥ずかしい」と。

ちなみに昨日私が聞いたラジオだと本渡さんは「声優はアニメより前に出るべきではない」「ライブとかをするにしても作品の宣伝の範囲内であるべき」って言ってましたね。

この二つの意見って凄い似てて、核として「『声』 優としての仕事が声にとどまらなくなったある種の矛盾への反発」ってのがあると思うんですよ。

こういう声を聞くと、やっぱりもう向き合うべきなんですよね。アイドル声優っていう現実に。

 

結論

ということで結論です。

結論から言うと、私は「アイドル声優と花守さんの思う声優を完全に分けて認識するべき」なのだと思います。

(ここから先、「花守さんの思う声優」って言うのを長いので「古典派声優」 って呼びます。演技を活動の中心にするって言う意味です。)

ちなみに形容詞なしの「声優」はこの二つをどっちも含んでます。

 

声優ファンの大半はまあわかると思うんですけど、最近は「声優のアイドル化」って言う言葉に代表されるように声優のお仕事ってだいぶアイドルにより始めてるんですよね。それこそが多分花守さんの発言の原因なんですけど。

ですが、その「声優のアイドル化」っていうのは実は言葉としては違っていて、その実は、「声優」って呼ばれる人の幅が広がってる。つまりは「声優」 の枠がアイドル側に引き伸ばされてるってだけ。

じゃあ「アイドル声優」は亜流だって批判したいのかっていうとそうじゃなくて、あれも立派な一つの仕事としてのあり方で、「アイドル」が仕事として認められてるのと同様に認められるべきだと思う。

問題なのはこの「声優」の枠が歪んだまま放置されてるせいで「アイドル声優」と「古典派声優」の仕事が障壁なしに行き来しているところ。

アイドル声優」が「アイドル」からその仕事を多分に吸収していて、その仕事が「古典派声優」までダイレクトに流れてきてるのが問題だっていうこと。だから「古典派声優」からの反発が出始めてるっていうこと。

 

じゃあ壁を作ろうっていう発想になる。

そこで今どうなってるのかって考えてみたい。「アイドル声優」が「古典派声優」と「アイドル」の中間だと考えて、この3つを考えると「アイドル」と「アイドル声優」の間、つまりは「アイドル」と「声優」には明確な高い壁がある。これはまあ浸透圧的に「声優」から「アイドル」に流れないだけなんだけど、「アフレコをする」っていう仕事が絶対的に「アイドル」には存在しない。

だから人はこの3つを見たときに、「アイドル」と「アイドル声優」の間に線を引いて、それで満足してしまう。

この認識を「アイドル」「アイドル声優」「古典派声優」って三分割に変えようっていうのが結論ってわけ。

これが壁を作るのかっていうと、正直よくわからんけど、でもオタクが認識を変えることは確実に小さくはあるが一歩にはなると思う。

「アイドル」がアフレコをしないのと同じように、「古典派声優」歌って踊るをしないも認められるべきだと思う。

まあ認められるべきっていうと「じゃあ圧倒的な実力つけろ」って反論されそうだけど、それは個人の問題で、大事なのはそこじゃなくて、「古典派声優はそういうものしないよね」って認識を変えるのが大事だって言いたい。難しい話じゃないと思うし損をする話でもないと思うし、何より一番手軽。

ということで、結論としてもう一度言うと

アイドル声優」と「古典派声優」は全く別物だと(双方の)オタクが認識を変えるべき

と思った。って話です。

 

こっからは余談です。

まあそういう結論な訳だから、ほんとは「古典派声優」と「アイドル声優」っていう呼び分け方は本当は良くない。これだと、あくまで声優の中の分類ってだけになって、アイドルと声優との間にあるような壁を作るのはできない。

変えるのは難しいけど。いずれはアイドル、アイドル声優、古典派声優にそれぞれ固有の名前がついたら理想かなぁとは思う。

 

アイドル声優が邪道って言いたいわけじゃないってのは、声が良いっていう強みからトップダウン的に歌に伸びるのは自然なことだと思うし、やっぱりあれも立派な声優だとは思う。だからこそ意識して古典派声優とは違うってことを認識しなきゃいけないって話なんだけどね。写真撮るのはわけわからんけどな。多分、容姿が良いっていうエクストラな要素が引き出されたってことなんだろうけど。そう考えるとアイドル的アイドル声優と歌手的アイドル声優も細く見ると違ってきそうだけど、それはそもそもらアイドル内でもあることだし、やっぱ今見るべきはアイドル声優と古典派声優の境目なんだから上で書くのはやめたって話。

 

花守さんへの批判「元々そういう売り方してきたんだから今更そんなこと言うのは違う」ってのに違うって言いたい。

この批判が成立するのって花守さんがあくまで利己的に自分の仕事を選り好みしたいって思って言って、結果的に自分の仕事の種別にしか影響しないとき。

今の状況考えてみる。

まず正直花守さん自身はどうもならんと思う。実際最初にアイドルっぽく売り出したんだからその印象はなかなか消えないんじゃないかな。

じゃあ誰に一番影響するのかって考えると、「古典派声優」を目指すもっと若い人達なんじゃないかなって。現実として花守さんみたいに理想から程遠いスタートを切って結局ずっとそれに悩まされ続ける人が減るんじゃないかなと。

だから今回花守さんがこうやって声をあげたことは偉大なことだと思う。黙ってるだけじゃ何も変わらない。同じような悩みを持つ人を増やすだけ。雑誌のインタビューだったことも考えて(Twitterとかでポロっと本音を漏らしたとかではなくってこと)批判を覚悟しながら発信したのは素直に凄いと思った。

そういう話です。